もう赤塚キャラとは呼ばせない!?
キチ吉のモデルはコイツだ!
世間一般ではキチ吉はその風貌から赤塚キャラみたいだのレレレのおじさんそっくりだの謂れの無い中傷を受けています。
確かに藤子キャラではあまり使われないくりぐりした目はレレレのおじさんを想起させるだろう。
赤塚ファンの間ではホッカイローのケーコタンが元ネタだろう、とまことしやかに噂されています。
ケーコタン
確かに鼻といい目といい共通のパーツは多い。 しかしこのような共通点はうまい棒のうまえもんとドラえもんが同じネコをモチーフにしたためあのように偶然似てしまった事例のように漫画の世界では良くあることです。
まあ多少なりとも影響がなかったとは断定できませんが
実は
キチ吉には元ネタとなるキャラがいて作者自らそれを公言しているのです!
例えば喪黒福造のモデルは大橋巨泉であるとか
才野茂のモデルは藤子・F・不二雄であるとか
小池さんのモデルは鈴木伸一であるとか
オヤジ坊太郎のマサミちゃんのモデルは当時のスタッフの早川マサミであることは何回も暴露されている有名な話です。
しかしキチ吉の場合は実在の人物ではなく、ほかの作家の他の漫画のキャラをモデルにした稀有な例なのだ!!
藤子キャラでこのような例は非常に珍しいことです。
なんせ作品の中心となる主人公のキャラが他の漫画から持ってきたものだなんて真島ヒロや流星超一郎じゃああるまいしまともな神経の漫画家では恥ずかしくて公表できないもの。
そしてそのキチ吉のモデルになった作品とは…
これだ!!
そう、あの手塚治虫大先生の名作「ザ・クレーター」だあああああ!!
この事実は狂人軍が終了してすぐに始まったチャンピオン・マンガ科で紹介されている。
第二回「きみもまんががかけるA」(70年4月1日号掲載)
ここにその衝撃のコマを紹介しよう
キチ吉の誕生までの試行錯誤の過程がまことしやかに描かれている。
ちなみにこのザ・クレーターのキャラは「いけにえ」の回のオクチンだ。
ザ・クレーターの始まったのがチャンピオン創刊号より。狂人軍は3号より。
当時の原稿の納期は発売十日前といわれているのでザ・クレーターを雑誌で読んでキチ吉をこしらえたとしてもギリギリの時間である。
もしかしたらキチ吉は怪物くんのようになかなか顔が決まらず切羽つまったA先生が同じ雑誌の手塚先生の神通力にすがって生まれた奇跡の名キャラなのかもしれない。